ハッカ物語
 
 ミント畑の中で作業をすると、骨までメントールの成分がしみ込んだような爽やかな涼しさを感じます。英名でミント、中国では薄荷とよばれ、大きく分けて和種と洋種があります。子供の頃お祭りでハッカパイプを買ってもらい、吸った味が忘れられません。あの味は確かに洋種のミントではない和のハッカの味でした。
 県内でも栽培された歴史もあったようですが今ではほとんど見かけず、信濃川の河川敷に野草として生き残っています。
 北見といえばハッカ、ハッカといえば北見とかっていわれた北海道の北見地方、明治17,18年頃からハッカ栽培が始まり、品種改良を重ね昭和14年頃には2万ヘクタールの栽培面積を記録するまでになりました。ハッカは主に葉を蒸留して油を取り、それを冷却精製して、水晶のように美しいハッカ脳と呼ばれる結晶と、ハッカ油にします。ハッカ脳は薬品に、ハッカ油は香料や薬品だけでなく、ショウノウなどとともに重要な化学工業の原料として利用されていました。北見地方のハッカは全世界に輸出され、世界の需要量の70%を誇り、外貨獲得に大きな役割を果たしました。第2次世界大戦時は輸出も止まり、一時激減したものの、戦後は需要の再開、急増、新品種の登場によって戦前のそれに復活するかに見えましたが、ブラジル産や中国産の安いハッカに押され、また石油を原料とする合成ハッカ脳の出現、ハッカの輸入自由化というダブルパンチを受け、坂を転がるように減少していき、昭和58年、北見ハッカのシンボルだった北見薄荷工場が閉鎖され、約半世紀の歴史に幕が降りました。
 薄荷の名前の由来は、収穫したものをそのまま運ぶのではなく、蒸留など加工して油にするので、同じ作付け面責の生産物で馬一頭で運べるものは他にないということから、薄い荷と書いて薄荷となったそうです。
 時代や社会に翻弄されたハッカの歴史が、爽やかな香りに隠されていたとは。なにかせつないハッカ物語なのです。
(02.7.31)